私が実際に受けたいじめ~番外編 中学校の卒業式~

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みなさんは卒業式と聞いたらどのようなことを連想するだろうか。同じ学び舎で学んだ友人たちとの感動の別れ、恩師からの熱い言葉、卒業証書の授与など感動的な場面を思い浮かべる人がほとんどだろう。しかし私は違った。式が終わった後、集団で暴行された最悪の式だった。今回は番外編としてその時のことを書こうと思う。

友人の写真撮影を待っていたら、いじめ連中に襲われる。

この記事を見ている皆さんも卒業式の日は友人たちと記念撮影をするという経験があったと思う。
いじめを受けていた私はそんなことはなく式が終わったらとっとと帰ろうと思っていた。しかし友人の一人(この友人は修学旅行の時に登場した私に班長を頼んだうちの一人である)が帰る前に仲が良かった女性陣と記念撮影をしたい、私とも一緒に帰りたいから帰らずに待っててくれと言ってきたのだ。私は仕方なくこれを承諾してしまった。だがこれは大きな間違いだったのだ。

私が女性陣と記念撮影する友人を自転車にまたがりながら待っていると、いじめ連中が私にちょっかいを出し始めた。「早く帰れ」とでも言わんばかりに。友人は女性陣との写真撮影に夢中になっていて気付かない。私は自転車にまたがっていたのもあって地面を足で蹴って逃げようとした。(この時は中学校の駐車場で別れの話や写真撮影をしていたこともあり、そこらじゅうに人間がいるので自転車を走らせて逃げるということができなかった。)
しかし、必死で地面を足をけって逃げる私の自転車にいじめ連中たちはしがみつき、そのうち主犯は荷台の部分に乗って

必死で逃げる私の頭を丸めた紙と拳で殴り始めたのだ。

それは友人が写真撮影を終える直前まで続き、結局50回ぐらい殴られた。友人が写真撮影を終えて戻ってくる直前でようやく解放されたが、卒業式終了後にまで追い打ちを受けたせいで中学校に対して更なる憎しみを抱くようになってしまった。その後友人は「ごめん」としか言ってくれなかった。もうこれは主犯格と友人が組んで私に襲いかかってきたとしか思えなかった。

友人待ちだろうが危機だろうがいじめからは逃げたほうがいい。

結局私はこの時にでも暴れて中学校への憎しみを発散させればよかったのだが、それすらできなかった。こいつら無関心な同級生やいじめ連中(といっても一部は私と同じ高校だが)とはもう二度と会うこともなかっただろうに。私はその後、中学校への憎悪をどこにも発散できず今となっては中学校の前を通るたびに中学校の壁に唾吐きをして恨みをぶつけている。私の地元は過疎地域なので中学校は一つしかないし父親も自営業の上厳しい人間なので転校することはできなかった。中学校は今でも憎いし、私にばかり鬱憤をぶつけてきたクズ学校など廃校になってしまえばいいといつも思っている。私が中学校を卒業してから15年余り。私を知る教員は今ではもう1人もいないだろう。しかしいじめをされた証は今でも心に残り続けている。私みたいになりたくなければ学校を変えるor不登校になるなどして逃げるほうがいい。


いじめを受けている人間を助けてくれる人なんか、学校にはほとんどいないのだから・・・

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