傷を負った人間は自分の命を大切にできなくなる

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今回は命についての話をしようと思う。このサイトをご贔屓にしてくれている読者の皆様の中でも察しの良い方は大体わかると思うが、私は決して「命は何よりも大切だから無駄にするなどんなに辛くても生きろ!」のような相手の気持ちを無視した事を言いたいのではない。

何より、これを今書こうとしている私自身が生き地獄とも言える状態なのでそんなことを言うつもりがあるならこの記事は書かないだろう。私が今回言いたいのは何かしらのダメージを負って傷を負った人間は命を大切にしなくなってしまうということだ。

命を大切にできるようになるには安心できる場所が必要

人間が命を大切に思えるようになるには安心できる人間がいる居場所が必要不可欠になってくる。というのも人間は大切にされることで、自分は大切にされているんだと認識するようになり、命も大切にできるようになるのではないだろうか。私の場合は特殊なのでよくわからない部分もあるが。

人間は安心できる居場所さえあれば、そのおかげで自分は大切にされている、守られているという安心感が生まれ、そのことで命を大切にできるようになると考えている。

逆に大切にされない、周囲の人間たちからいじめや虐待を受けると自分は大切にされていない、自分の命なんてどうでもいいものなんだというこの過程で自分はどうでも良い存在なんだという思考が植え付けられ、すべての人間を敵だと感じるようになってしまう。その結果不安に心を支配されて、主にSNSやネット掲示板などで別の相手を攻撃することや自殺願望につながっていくのではないだろうか。

私の場合だが、結論から言うと私は自分の命よりも女子キャラの研究を大事にするようになってしまった人間であり、女子キャラが規制によって滅亡するなら死にたいとか考えているし、このご時世になってからは常に死にたいと考えるようになってしまっている。

このサイトの私の経歴を読んでもらえればわかるように、私は人間は基本的に悪の生き物だと考えており、本当の意味での善の心を持つものはポケモンの色違いよりもいないのではないかと考えている。

その一方で身内は私の味方であった。しかし、以前何度も言った通り不登校にはなれず、学校には行かされ続けたのでいわゆる苦登校の人間であった。当然ながら学校に逃げ場なんてないのでどうやっても回避できないいじめを強制的に受け続けなければならず精神の悪化につながった。教員に相談すればチクリと言われ、教員の方もだんだんと相手にしてくれなくなる(自分の力で解決しなさいなどと言われる)。父親との関係もよくなかったので家で完全な安心感が得られたわけでもなかった。見た目は普通の人間と変わらない障害持ちであることやここ数年で人間の闇に触れすぎて人間性悪説を信じるようになったことも含めて、その辺りが原因になってしまったのだろう。

今すぐは難しいけど未来は変えてほしい

鬱憤をためて誰かを攻撃することが誰にでも起こりえる今の環境で命を大切にしろなんて言ったところで私には響かない。私のような人間を増やさないためには命を大切にできる人間を増やす必要がある。

その方法は一人一人に対して貴方はたった一人しかいない存在であるということを教えていくことだ。それは形だけの道徳の授業では絶対に伝えることはできないだろうし、できなければこの国は闇を大量に抱えたままだろう。

また、こういう時に自分を助けられるのは自分だけよって意見はよく見るけど、私にそれを当てはめると女子キャラと同じ性別でないがゆえに彼女らの苦悩を分かってあげることもできない男である私が嫌いなのでもうどうしようもない。だからと言って性認識は普通に男なので性転換手術など考えられないし、一生背負って行かなければならない問題だと考えている。

生きてきた中で受けてきたいじめやコロナ禍で人間の醜さを嫌というほど味わった私はもう考えを見直すのは手遅れかもしれない。しかし、未来のある子どもたちには私のようになってほしくはないという気持ちはある。

どうか、今の大人たちは子供たち一人一人に貴方たちは大切な存在なんだよということを教えるようにしてほしい。いじめや差別などひどい目にあわされていたら積極的に助けるようにしてほしい。私のようなどうしようもない人間が生まれてしまうような世界を少しでも優しい世界に変えていってほしい。しょせん人間嫌いの私がこんなこと言っても理想主義者の理想論なのかもしれないが・・・

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コメント

  1. 藤木のび太 より:

    私も 衣食足りて礼節を知る という言葉の通り、一人一人が
    大切にされて始めて自分や他人を思いやれるようになると
    思います。

    今ネットを中心に騒がれている安楽死についてですが
    私は「今は」反対です。
    今の日本人の意識では弱者に死を強要する
    世の中になることが明らかだからです。
    もっとも、今現在私が生きづらさを感じており、自分の頭の悪さに
    絶望し泣きながら頭を殴り続けたことが1度や2度ではないため
    「どんなにつらくても生きろ」などとは言えません。

    やさしい世界になり一人一人が個人として尊重され、
    自分の頭で考えるようになって初めて
    国は安楽死を検討してほしいものです。

    • zyoken より:

      藤木のび太様 コメントありがとうございます。
      私は公開処刑やスケープゴートを作るよりも逆に一人一人を尊重し大切にする。それをするだけですべてではないとはいえ多くの人間が救われるのではないかと考えています(こういうこと言うと迷惑かけている奴が悪い云々言われそうですが)。それに今現在死にたいって思う人間って金銭や精神不安定などで困窮してなおかつ国の上層部からの様々な押し付けでさらに参っている弱い立場の人たちですものね(私もそうですが)。
      「どんなにつらくても生きろ」という言葉をかける人間を私は今現在は信用していません。実際、私がこの言葉を聞かされて仕方なくいじめに耐えて生きた今が苦登校の後遺症に加え、コロナ混乱から精神不安定になり人間の醜さを存分に味わう羽目になったみたいなものですから。対策のリモートだって私の仕事ではできないものですので毎日人間と接触する恐怖を感じながら過ごしています。こんな中で何かしらの事情で女子キャラまで失う羽目になったら・・・もうこの先は生きれば生きるほど私の人間嫌いは悪化すると考えています。
      優しい世界は今の上層部の人間たちが強いやつ、優れている奴だけ生き残ればいい負け犬はいらないみたいな優性思想を完全に捨て去ることができるのなら来ると思います。優しい世界になったら自分が生きたいか死にたいかを考えられるようになりますものね。