私が学校という物に不信感を初めて持った思い出

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今日は私が初めて学校に不信感を持ったことを書こうと思う。なんでこんな気持ちになったのかは自分でもわからないが、ここは私の人間に対する恨みを始めとした色々な感情をかき出すための場所なのでだれが反対しても書くことを止めないつもりだ。

きっかけは避難訓練

あれは小学校6年生の頃だったと思う。皆様も学校で定期的に地震や火災などを想定した避難訓練をやると思う。そんな避難訓練の最中で起こったことだった。

小学校の避難訓練では終わった後に煙のトンネルを体験したり、消防車の見学をしたり、小火器を実際に使う実習を行ったりすることが多い。その中でも私の心に不快な思い出として残り続けているのは非常用梯子を滑り降りるという体験である。

その時行った体験は実際に梯子の中に入ってそのまま1階まで滑り降りるという物だったのだが、当時の私のクラスは後ろの方だった。前のクラスの人間たちは誰であろうとちゃんと滑り降りることができていた。しかし、ついに私の出番が回ってきたとき教師たちはこう言ったのだった。

「身長の高いと体重の重い奴は時間がないから普通に階段で下に降りろ。」

この言葉を聞いた時、なんなんだ。と思った。あれだけ長い時間待たせておいて時間がないことと私が太っているからというだけで、貴重な非常用梯子の体験を中止にされたのだ。前にいるクラスの奴らは身長が高かろうが体重が重かろうが全員滑り降りたというのに。なお、私より後列にいる条件に該当する生徒たちも待たせておいてふざけんなよなと愚痴ったりしていたのをよく覚えている。

大半の人間から見ればこんな小さいことに恨み持ってんじゃないよと思う人間もいるだろう。だが、小6の私は高い所から緊急用滑り台で滑り降りるというのは未知の経験であり、正直じっさいにすべりおりたらどうなるのかと期待していたのだ。それを目の前で理不尽につぶされたのだから怒りを持って当然だと何十年も経った今でも私は考えている。

学校に不信感を持つことはおかしくなんてない

この経験から私は学校という組織が持つ違和感について何となく理解できるようになった。この後中学校に進学してにいじめを受けたので、学校にいる年月が長くなるたびにその不信感は高まって行った。

そして今現在でもああこの学校という組織はどうしようもないんだなと言う考えに落ち着いている。最近、教師が教師に対して激辛のカレーを無理やり食わせるなどのいじめ行為(正直犯罪行為だとしか思えないが)を行っている癖に本人たちはその行為を動画にアップロードした上にバレてニュースになったら有給休暇を取って休めるとかいうふざけた待遇を受けているような状況だ。

これらのことから、学校に不信感を持つことなんて全くおかしいことではないのではないだろうかと私は考えている。教師になるのは学校が楽しいと感じたもしくは楽しく過ごせた人間たちだ。そんな人間たちがたくさんいるからこそ馴染めない人間の味方をあまりしてくれないだろうし、自分たちも~などの理由で理不尽を強いったりしてくることもあるのではないだろうか。

だから、もし何か嫌な目や理不尽な行為に巻き込まれて、学校に不信感を持ったとしても貴方は悪くない、学校の方に問題があるのかもしれないからよく考えてみようという事を伝えたい。かつて自分ばかり責めて傷ついた私だからこそこう言いたい。

自分ばかり責めて傷つく必要はないのである。

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コメント

  1. 猫虎丸 より:

    前回の記事すみません。
    自分、誤字脱字が多くて間違えてました。
    一応あの時は使えてました。ですが、テーマに沿って探すのが難しかったです。

    今回の記事については同意見ですが、気になる部分がありました。
    気になった部分としては

    「きっかけは避難訓練」の項目で↓
    当時、自分が通ってた学校の場合は、非常用はしごについては、代表者で行なっていたので、管理者様の学校ではみんな体験できるのだなて驚き、羨ましく感じました。
    ですが、やはりせっかく待ったのに、このような対応は自分もそれはないだろて思います。

    学校とは関係ない話ですが、自分自身にとって、強く不信感を感じるのは職場という会社の組織、社会じゃないかて感じます。
    理由が人間関係でして、上のリーダーなんですが、人によって態度を変えられたり、パワハラ?(グレーゾーン)などがありまして、
    その人にとっては、イケメン、美女のようにルックスを持ってる人で判断してるのか、仕事出来る人かどうかで判断してるか分かりませんが、

    だからて仕事出来ない人や冴えない人(こんなこと言いたくなかったですが)に対しては態度変えていいのか?冷たくしていいのか?て思う時もありました。でも、現実なのかなて感じました。

    このように言い方が悪くなってしまったら申し訳ありませんが、
    お前には何が出来る?というプレッシャー、責められることによって自信がなくなり、
    ある人は、社会、会社の人間関係が嫌になって引きこもってしまったり、
    ある人はその優秀の人に対して、嫉妬したり、攻撃したりして思考停止になったり原因じゃないかと考えています。

    なんか関係ない話になってしまい申し訳ありません。

    • zyoken より:

      猫虎丸様 コメントありがとうございます。
      私のいた小学校では消火器の使い方の訓練は選ばれた代表がやっていたのですがそれ以外は大体全員がやる形でした。とはいえ、滑り降りができなかったことは今でも深い傷として心に残っていますね。
      社会への不信感は私も薄々感じています。日本社会は今になってようやくブラック企業が摘発されるようになってパワハラが認められるようになってきたとはいえ今でも縦社会が根強く、性格の悪い上層部の人間は仕事ができる人間とノリのいい人間以外には嫌悪を向けてくることも少なくないですからね(イケメンや美女であっても嫉妬されて攻撃の対象にされることもあります)。そもそも人によって当たり方を変えてしまう時点で人間としては未熟な存在だと私は思いますね。