私は以前ここで説教について書いたことがある。呼んでもらえれば分かる通り、私は説教という物が嫌いである。
しかも、ただ嫌いなのではない。私以外の人間が説教されているのと同じ空間にいると自分も嫌な気持ちになってくるし、イラついてくる。HSPなのではないかと疑ったこともあったが、これに該当する人は人間が嫌いであることはありえないようにも思えたので未だに答えは見つからない。今回は私が説教について思っていることを書いていこうと思う。
普段真面目にしていると間違いをした時厳しくなる
皆さんは学校にいた頃こんな光景を見たことがないだろうか?
普段からいたずらなどの悪さをしている人間に対しては教員はしょうがないな・・・程度にしか言わないのにも関わらず、普段から真面目にしている人間が少し羽目を外したときは強く怒るという光景だ。
真面目人間のふりをしていた身である私は少しでも間違えたことをするとものすごく強く言われた。だからこそ羽目を外すなんてことはせずに更に真面目人間を装って暮らしていた。そうしたら今度は周囲からいじめを受けたのだが。
味方してくれる教員もいたけれど、私が頭の回転が遅いのかぼーっとしているようにでも見えたのか話を聞いていないように見えるのか・・・分からないけど大半の教員から私が失敗したりはめを少しだけ外したときの説教は厳しくされた。
私は普段悪いことをしない分悪いことをした時はより一層きつく言われるのはどうしようもないことだったのだろうか。こう考えると粋がっている不良人間共が羨ましくなったこともあった。悪に染まってやろうと思ったこともあった。しかしできなかったので学校を居場所だと認識したことは・・・ほとんどない。
そういった経験が続き、教員に良く思われようと顔色をうかがって暮らすことに疲れた私は説教が大嫌いになっていったのである。それに加えいじめを受け続け、周囲の人間への信頼を完全に失ったことによって人間不信は高まり、人間がどんどん嫌いになっていたのだと思う。
説教は同級生からも頻繁にあった。元々周囲の人間に合わせることが大嫌いな上に動きも遅かった私は運動会のようなクラスが一致団結して行うイベントでは「お前のせいで負けた」、「真面目にやれよ」などの説教を言われた回数は数知れずである。
こういう時は普通練習してうまくなって見返してやればいいという考えにシフトする人が多いのだと思うのだが、私は運動会で優勝する必要性を全く感じなかったので、特に練習しなかった。それに加え自分たちの集団が上手く勝利できなければできない人に対して説教やいじめ攻撃を繰り出す連中になぜ協力しなければならないのかという点にも疑問を持っていた。というか自宅できる練習って徒競走ぐらいしかないだろうし、私が責められる原因だった組体操とかの練習とかできることないだろ・・・
なので強制以外の練習はやらないという選択肢が無能な私のできた精一杯の反発だったのだろう。昔からやりたくないことはしない人間だったから。こんなんだから説教されるのだろうけど。
教員たちが今の私を見たらがっかりするだろうなって思う
話を少し変える。そんな私の姿を見てきた教員たちからすれば、学生時代真面目だった私が今の腐りきった状態になった見たらがっかりするだろうなと思う。
だからなんだということでもないだろうが、正社員にもなっていない上に世間や社会的には後ろ指を指されるようなことにばかり取り組んでいる(このサイトでやっている女子キャラクターの研究がそれに該当するだろう)私を見ればたぶん口をそろえてお前は何をやっているんだと説教してくることだろう。
私が関わりを持っていた教員の中には協力してくれない上に冷たい人がほとんどだったが、中には真剣に話を聞いてくれた人もいたし、私の事をいつまでも覚えていてくれた人もいた。こういったタイプの教員の皆さんには期待に応えられなくてすいませんでしたという気持ちが強くある。
それ以外の奴らには何も感じない。むしろ「私が学校みたいなくだらない組織のやっているに洗脳されず、非正規で勝ち組とは言えないけど独自の道を歩けている。私はお前たちに勝ったんだざまあ見ろ!!!」というような考えが生まれているのを自覚している。
説教されたときの怒鳴り声はいじめの攻撃と共にフラッシュバックすることもあるし、それだけ恨みが強いのだろう。女子キャラクターが好きなのにもかかわらずで会社員ぐらい(20歳以上)の年齢のキャラにまったく興味がわかないのは無意識のうちに大人が嫌いになったからなのかもしれない。
HSPを疑ったが、結論は出せなかった
私は自分の説教が嫌いな点についてHSPという症状なのではないかという疑い、調べたこともある。HSPは以下のような症状がある人間の事を言う。
ハイリー・センシティブ・パーソン(HSP)
高度な感覚処理感受性を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。HSPはしばしば、豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもっている。物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ。
出典:Wikipedia
つまりは普通の人に比べて敏感で空気を読んだり深く考えてしまう傾向がある人の事を言うらしい。私以外の人が受けている説教で嫌な気持ちを感じてしまうのもこれが原因なのではないかと思うこともあった。
ただ、私は
・すでに発達障害の診断を受けている上にいじめ等で苦しんでいる人の気持ち以外は察することができない。
・臭いにはかなり敏感であるが、光や音に対しては特に敏感ではないし呑み込みは並以下。
・このサイトを読んでもらえばわかる通り、私と似たような境遇をたどった人たち以外に対しての共感力は非常に低い。
などと言った面もあるため、自分の中ではHSPではないのだろうなと思う。しかし逆に
・自分が受けていなくても説教によって悪い空気を感じ取ると気分が悪くなる。
・考えてから行動することが多い。考えすぎて行動できないことすらあるぐらい。
・オリジナルで女子キャラクターの設定を書くだけなら5~10分程度あればできるので創造力はそれなりにあると思う。
といった面もあるので正式に言うと「どうなのかは分からない」というのが結論である。創造力の高い発達障害の人もいるので、私はそういう部類なのだろう。
私の出した結論
結局、私自身の説教が嫌いな理由やHSPなのかどうかは分からないままだが、
・人のためという考えを全て排除し、自らのためだけに生きる方向に切り替えた。
・やりたくないことを全て止め、やりたいことだけをやるようにした。
・人間とは真逆の性質を持つ女子キャラクターを研究し、彼女たちを通じて個性を主張すると言う方法を学んだ。
今は学校に縛られることもないし上記の事を実践したら少しだけだが楽になった。今でも人の怒鳴り声は大嫌いだし、恨みもたくさん抱えている。質問サイトで少しでも説教くさい回答をしている奴を見ると反射的に反論したくなるし暴言を吐きたくなる。
色々言ってきたが説教は不必要なものではないとは思う。悪いことをした人間に対して強く言うことで悪いことを行ったというのを自覚させるのには必要だ。
だが、できないことがいつまでもできない場合に対しては強要と併せて説教をするのではなく優しく教えるなどの行為に置き換えることはできないのか。本人のやる気を出させる方法を考えることはできないものなのか。説教によって自分を責めてしまう人もいるし、ハングリー精神なんて持っていない人だっているのだぞ?
そんなのわがままだ贅沢だ自分勝手だというのなら私はもはやそう言う人間との意思疎通は不可であると言うしかない。
そして本来説教をすべき対象であるはずのいじめ加害者に対しては説教をせずに隠蔽を行って守るのかといじめ自殺のニュースが報道されるたびに思う。納得が行かないこの現状が続く限り、私は説教が嫌い、汚い大人が嫌い、人間が嫌いだと思い続けることだろう。
コメント
お久しぶりと言っていいのか分かりませんが
お久しぶりです
思ったこととしては一言で言うと本当にすごいです。
私もそれ思ってました。言っていいのか分かりませんがまるでもう一人の私かなて思ったくらいです、迷惑かもしれませんが
私も説教は苦手ですね(特に怒鳴りつける行為をした説教と言っていいのか分かりませんが)
学校でも変わり者、落ち着きがないとみられているせいか教員や家族など怒られる事多かったですが、
特に前の職場(ちなみに障害者枠ですが、半分事務、立ち仕事などあり)特に上司は地獄になるくらい怖かったです
この中で特に苦手な言葉は上司から言われた言葉ですが、「何聞いてたんだ!馬鹿野郎!!」や「ボケぇ!」「バカ」
などですね、暴言のように説教と言っていいのかお前(私)を思っていったのか今でもわからないです。
障害の内容や話とか聞いてくれないので恨みしかわいてこないです。
今の職場の上司は事務メインですがでは私のことを信頼ていうか、仲良く、障害など話聞いてくれるので助かってますね
私は学校でも前の職場でも私のこと覚えている人なんかほとんどいないて思ってますし、学校というものはほとんど期待してないですね
私も怒鳴り声自体大嫌いですが、自分じゃなく他の人に怒られてるのを(特に部活動運動部やテレビの特集)見ると気分が悪いので苦手です
もちろん説教は悪いことばかりではないと思うのですが、
やはり、私にとってはとても恐ろしく感じますし、フラッシュバックとして蘇ってしまいすね
一力 篤史様 コメントありがとうございます。
私から言わせてもらえば相手を思って言ってるのか、暴言を吐いてストレスを解消しているのか分からない場合は後者だと判定してしまってもいいように思います。馬鹿野郎とかボケなどは説教というよりただの暴言ですし、もはや人権侵害だと思います。そういうことを平気で言える人間は自己保身が強く、自分の思い通りに部下が動かないので腹が立って暴言を吐いているのだと思われます。私の経験上そういう上司がいたり暴言が飛び交っている職場は元ヤンキーのような柄の悪い人間が多く集まっている傾向が強かったです。
学校はあの独特の空気に合わない人間にとってはもはや刑務所もしくは監獄同然です。未だにいじめを受けて自殺をして亡くなってしまう少年少女たちはたくさんいます。学校も教育委員会も事なかれ主義全開で何もする気も無いようなので、これからは会社に依存しなくても生きていける方法を教えていく必要があると思います。
暴言吐かれて恨みにかられたりフラッシュバックすることも悪いことでも何でもないです。人と違うことに腹を立てて暴言を吐いたり暴力を行う人間の方が何倍も情けないと思います。それと説教という言葉は元々、仏教で宗教の教えを信者に説くという意味もあるのでそれも覚えておくとダメージを減らせるかもしれません。
説教といえば、発達障害などのSSTに謝る練習などというものがあるようです。
日本では謝罪する事は大切ですが、逆に絶対に謝ってはいけない時もあると思います。
特に発達障害はそういう人や場面に出会う確率が高いのではないでしょうか?
記事にある教師のえこひいきは典型的な例だと思います。
そもそも謝る練習はいじめの加害者にさせるべきなのにおかしな話です。
藤木のび太 コメントありがとうございます。
私は理不尽な状況で謝罪しろと言われたときは謝ってはいけない場合だと思いますね。悪いことをしていないのに謝罪をすると精神がどんどん壊れていき、最終的には私の存在自体が悪いことなんだと思うようになって自殺する方向に考えてしまうようになりますから。
教師は事なかれ主義も多いので、自分の立場を守るために弱い立場の子よりも強い立場の子に味方することが多いのでしょうね。39人助けられれば1人は犠牲にしてもいいみたいな。とはいえ私自身も扱いやすそうで扱いづらい人間だったので彼らも困っていたのかもしれません。許す気は全くないですが。私は大人子供問わずにいじめやパワハラなどの残酷な行為を罪悪感も持たずに平気で実行する人間全てに謝罪の練習をさせるのがいいと思います。いじめやパワハラなんて誰もが受けるものだという考えを正さない限り、この国はどんどんダメになっていくと思うのです。