いじめの悔しさをバネにと軽々しく言える奴は加害者擁護人間だなぁと思う

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いじめ被害者に向かってよくこのような言葉が投げかけられる。

いじめられたならそれをバネにして見返せ!

という言葉だ。私はこの意見を聞くたびにあきれ返る。なぜなら苦しんでいる人に向かってこんな心無い言葉を投げかけられる人間がいまだに世の中の主権を牛耳っている現実があるからだ。

そもそもこの言葉を平気で投げかけられるやつは自分もかつては加害者でそれを後ろめたく感じているからこの言葉を使っている加害者擁護人間にしか見えないからである。

いじめられたバネ

ここにバネがある。これを20数人程度でリンチをするかのごとく叩き続ける。そしてそのひん曲がってしまったバネを製造機器や自動車や飛行機など乗り物の部品に使いたいと思いますか?

思わないよね?ひん曲がったバネを機械に使うだなんて事故を起こす元凶でしかない。

思わないと思った人でもいじめのくやしさと実際のバネとは話が別だろと言いたくなる人もいるだろう。あのさ、これは人間の心であってもバネであっても同じだから。

毎日のように死ね消えろゴミクズみたいな暴言を言われ続けて暴力を振るわれて・・・それで見返してやるみたいな考えで見返してやるなんて気持ちが沸いて、エンジンがかかるやつなんて稀にしかいないの。

大半は怒りや悲しみの感情を消化できず、精神病を発症して一生苦しみ続けるの。そうなってしまったら見返してやるの思考が働いたやつやいじめの恨みに折り合いをつけられた奴にすらいい加減に前を向けみたいなこと言われてさらに辛くなる。

一緒苦しみ続けている場合は苦しみを発言できるほどの力が残ってないから、克服や見返しした人間ばかりが目立って、どの人間も理不尽やいじめを経験した人間は強くなれるのが当たり前という思考が定着して、更に理解者がいなくなる。

人間は相談や信用をしてはいけない生物なんだ、自分以外の人間は敵なんだという考えが固まって行き、高年齢引きこもりが出来上がるのだと思っている。

そもそも見返すってことは社会的地位を上にするってことだ。克服も乗り越えも不可能な状態で精神的に苦しんでいる場合、職場などの重役に就くのに必須とも言われている仕事能力や権力争いで不利な立場になることが多く、ストレスが重なって退職につながる。そうなってしまったら見返すどころの話ではなくなってしまう。

そういうの分かっていない人間って多いよなって思って更に人間が嫌いになるよ私は。

自分が乗り越えられたからって他人まで同じようにできるとは限らない

私から言いたいのはただ一つ。

全ての人間が同じ困難にぶつかった場合でも乗り越えられる場合と乗り越えられない場合が必ずあるということだ。

神様は乗り越えられる試練しか与えないとかいう言葉もあるけど私はあれは正直言って大嫌いである。私は宗教自体が後ろめたさがある人間が作り出して救いを求めたものだと思っているので、神様がどうとか言っている時点でもう聞く気が失せる。

そもそも神様がいるというのなら、なぜ理不尽な虐待で死ぬ子供がいるのだろうか?なぜ何も悪いことをしていない人間が理不尽な事件に巻き込まれて人生を壊されたりするのだろうか?神様が~などという意見をぶつけてくる人間はその辺答えてほしい。運命以外で。

被害者にばかり厳しい言葉をかけるのは自分もかつて加害者であったか、乗り越えられたからお前もできるみたいに思っているような思考停止のどっちかなんだろうなとしか思えてこない。

人間は人によって心に受けるダメージが大きく違う。大したことがないと思う人もいれば、人生を棒に振ってしまうような大ダメージを受けてしまう人、適応してやり過ごせる人まで様々だ。だからと言って、大きなダメージを受けて乗り越えられず苦しむ人を非難するのは絶対にダメだと思う。そんなことをできる奴は加害者擁護の人間に他ならないと私は思う。

本気で相手を救いたいと思っているのなら相手の置かれている状況を理解して何があっても寄り添ってあげることが私は大切だと思う。寄り添おうと思っているが、相手にいろいろ言われて腹が立ってしまった場合は本気で寄り添ってあげたいなんて思ってないと思うので速やかに相手から離れることを推薦する。

苦しんでいる相手は苦しみにとらわれすぎるあまり周囲が見えていないことが多く、自覚がなくても傷つく言葉を言ってしまう場合が多いから。実際私もそうである。

 最後に

自分が理不尽を経験したことあろうがなかろうが結局、苦しんでいる相手に気持ちを無視したような言葉をかけている時点で私は相手にその気がなくても

「あ、こいつは人の気持ちを理解したつもりになっている加害者擁護もしくは説教バカだ。」

と思ってしまう。私は人間たちからいじめやマウント説教、などと言った形で苦痛を味わって生きてきたので、苦しんでいる相手に向かってバネにして見返せだのとかは絶対に言わない。

私は克服ができないのなら、受け入れや開き直りという形で対処してもいいと思ってるし恨みがあるなら相手に向かって一生負の念を飛ばしていてもいいとすら思うことがある。

苦しみが消えないのなら、悔しさを恨みにしたっていいし私は恨みの感情が無駄だとは思っていない。私なんか好きなことやりながらも恨みの気持ちは忘れずにしている状態。そこで許したら加害者は恨みの念からも解放されてすべて許されてしまうと思うから。

誰が何と言おうと私は死ぬまで恨むことを忘れないだろう。

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コメント

  1. 藤木のび太 より:

    私は悔しい見返したいという気持ちが強いですね。
    これは私をいじめてきたタイプによるものかもしれません。

    私をいじめたタイプは不良タイプではなくどちらかといえば地味タイプ・・・
    藤木のび太の藤木は ちびまる子ちゃん の藤木からとっているのですが
    いじめっ子は永沢みたいな「友達」でした。
    お前は自己中だみたいなことを言われていました。
    完全になめられており、のび太はのび太らしく謙虚してろという態度でした。
    こう書くと一見正論に見えるからそこがいやらしい。いじめ方が巧みなのです。

    そして努力したいのにどうしても努力できない(発達障害あるあるの1つ?)
    当然何も進歩しない。著しく仕事ができず低所得。
    世間の暗黙の了解として 仕事のできない奴は自己中だからとある。
    さらに 劣った奴は謙虚でなければならないとある。

    ふざけるないじめが正しいことが証明されているではないか。私は認めんぞ。
    このような感じの感情がどうしても捨てることができませんね。

    • ジョニー小林 より:

      藤木のび太様 コメントありがとうございます。
      見返したい気持ちが強いというのは立派なことだと思います。私は後遺症で常に相手を疑う姿勢を取ってしまいがちですから。
      ハンドルネームは藤木君から取っているのですね。まる子って誰でも見れる国民的アニメのような気がしますが、所々にものすごい闇を感じるので(藤木君を皆で卑怯呼ばわりするのとか、その割にまる子を筆頭に皆結構卑怯なことしてるとか)好きになれなくてほとんど見ていないんですよね。
      お前は自己中だと地味系の友達ポジションの人間に言われ続けたのですね。そういう奴はお前のためを思ってとか言って正論っぽいことをぶつけてくるのでやっかいですよね・・・人間謙虚な方がいいとは言いますが、この世界でいじめをしたり得しているのは明らかに図々しい放漫な人間なので、正論や一般論を武器にしてある意味一種の洗脳に近いことをしているのでしょうね。
      私は仕事の出来る出来ないで価値を決める奴はゴミ以下だと思っているので、自分に出来ることをやって行くことで道は開ける可能性が必ずとは言えなくても少しはあるんじゃないかなって思っています。実際このサイトもそんな気持ちを持って書いています。
      世間の暗黙の了解で劣った人間や役立たずはいじめて追い出せみたいなのありますよね・・・私はいじめを実行することこそが悪いことだと思っていますので、劣った人を追い出すためにいじめは正しいなんて言う考えは認めなくていいと思います。私だってそんな考えは認められませんよ。その感情は捨てたりせず自分の考えの一つとして持っておくことで役に立つ日が来ると思います。
      なんだかあまり解答になっていなくてすみません・・・