私の嫌いな言葉 その1

Pocket

私には嫌いな言葉がいくつかある。

今回取り上げるのは、変だ、ずるい、常識の3つである。

今回はこの嫌いな3つの言葉について私の思うことを書いてみることにする。これ以外に普通と自己責任も嫌いだが、以前書いたのでここでは省くことにする。また、これ以外にもあるので少しずつ取り上げていこうと思う。

変だについて思うこと

私たち人間は自分から見ておかしいと思う物や事柄に変だという言葉を何気なく使っているが、変というのはどのような状態なのか考えたことあるだろうか?ちょっと調べてみるとこのようになっていた。

へん
〖変〗 (變) ヘン・かわる・かえる
1.
次々とかわってゆく。うつりかわる。かえる。かわり。 「変化・変移・変遷・変改・変更・変動・変幻・変造・変心・変色・転変・激変・一変・大変・豹変(ひょうへん)・臨機応変・千変万化」
2.
急に今までとちがった事象が起こること。不時の災難。 「天変地異・異変・地変・凶変」
3.
《名・造》正常でない社会的事件。 「本能寺の変」
4.
《ダナ・造》普通でない。 「変な音」
5.
音楽
本位音よりも半音低い音。 「変宮・変記号」

出典:google百科

主な意味は今までと違ったことが発生したり、移り変わりの事を示す言葉であるようだ。だが、大抵の人間は4の意味である普通でないという意味を込めて使っているのだろう。

私が変だが嫌いなのは、自分に特に悪影響を与えるわけでもないものやことに向かって変という表現を使う人間が多いからだ。私は自分が好きで女子キャラクターを研究している身だ。別に人の気分を害そうと思ってやっているわけではない。だが、やっているだけでお前変だよと言ってくる人間もいるのだ。

ずるいについて思うこと

ずるいは本来正しくないやり方や卑怯なことをした相手に対して使う言葉だということは知っているが、改めて意味を調べてみた。

ずる‐い
【狡い】
  1. 《形》

    人をだしぬいて自分が得をするような、正しくないやりかただ。わるがしこい。こすい。
    出典:google百科

私がずるいという言葉が嫌いなのは正当な権利にまでこの言葉を持ち出す奴がいるからだ。例を挙げれば無職や生活保護受給者へのバッシングだ。バッシングをする奴らは自分は働いているのに働かずに金をもらう、もしくは養ってもらって生活することはずるいなどという思いを心の奥底に隠し持っていることが多かった。自ら進んで無職や受給者になりたがる人などいないと言うのに・・・

私は言いたい。人間は嫌な生き物だから決して平等にはならない。正当な権利に向かってずるいと思うならさっさと退職して無職になって自分がそのずるいの裏に隠れた本当の気持ち・・・羨ましいと言うポジションになればいいだろうが。それでバッシングされたからって言って不満を言う権利はないけどね。それに・・・無職を経験した身から言わせてもらうと、理解してくれる人などだれもいない地獄だよ?そんなのが羨ましいなんて私にはわからない。

常識について思うこと

常識。これは人間の中では普通の人間が当たり前のように持っている知識や考えの事である。例を挙げれば、人間を殺してはいけない、1+1は2であるなどが主なものだろうか。上の2つの言葉と同様、意味も調べてみた。

じょうしき
常識
  1. 健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。

     「―的」

    出典:google百科

私が常識を嫌いなのは何でもかんでも常識にすれば、「非常識な相手を諭すことのできる自分は普通の人間だ。」と思い込むような奴がいるのが嫌なのである。そもそも自分にとっての常識が他人にとっては非常識にとらえられてしまう場合だってあるのに。

そもそも私も常識を持っていれば問題ないと思っていた時期があった。しかし、人間は常識だと思っている物事はあまりにも多すぎるのだ。中には皆からあまり知られていないことを常識だと言ってくる奴がいたり、なんでもかんでも常識だろで片付けようとする奴がいる。

私も女子キャラクターは人間よりはるかに優れていることは常識という考えを持っているが、たぶんこれは9割の人間からすれば非常識だろう。私は表に出さないが、こう言った自分の中の常識を表に出してくる人間はかなり多く、そういう人間が「こんなの常識だろ」という言葉を多用するのだろう。

そのことが、どれだけ恐ろしいことなのかも気づかずにね・・・

最後に

自分にとっては何とも思わない言葉や考えで傷つく人がいる。人に言葉をかける時はそれを意識してほしい。そんなことまで配慮できない!という人ももちろんいるだろう。そんな人には以下の3つだけでも意識することで人との衝突をだいぶ減らせると思う。

自分にとっての当たり前が他の人にとっても当たり前であると思い込まない。

人が困っているときに受けられる保険や保証はずるいには含まれない。

不快感があろうと特に悪いことをしていない人を変人扱いしない。

だが、それでも分からない人間がいるから色々難しいと思う。だが私はそんなの理想論だなどとほざいている暇があるのならその理想論に少しでも近いよりよい環境や居場所を作り出す考えをめぐらせた方が有効だと思うのである。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

  1. 藤木のび太 より:

    私も嫌いな言葉はたくさんあります。「」内が嫌いな言葉です。

    まず「感謝」。理由は中島義道氏と同様ですが、親からよく言われた為でもあります。
    似た使われ方をする「プライドが高い」も反吐が出る。
    これは、ネットやビジネス書でよく見かけます。
    これは能力の劣った者やニート、引きこもり等にかけられる言葉。
    その言葉の裏に「のび太のくせに生意気な」が見え隠れし腹立たしい。
    劣ったものはプライドを持つ資格はない。とでも言いたいのでしょうか?
    不貞腐れたりイライラしていると「人の気持ちも考えろ」
    人の気持ちを考えるとさらに自分嫌いになりました。
    もし私が普通の人なら藤木のび太のような奴はムカつくことを理解しなければなりません。
    すると今度は「ありのままの自分を愛せ」だと。無理です。あの歌は吐き気がする。
    自分を愛せない人は「自己愛性人格障害」で、それは世間の最も嫌う「自己中」となる。

    もしかしたら、このような感じの流れの中、心が折れていやいや普通を目指している
    発達障害者も多いかもしれません。
    そんな中、普通に抗い自分の納得できる生き方を目指す管理人様は励みになります。
    私も納得できる生き方を目指して頑張りたいものです。

    • zyoken より:

      藤木のび太様 コメントありがとうございます。

      人間という生き物って結局図太くて裏表があって二枚舌がほとんどだと思うのです。そのため立場や都合によって考えを曲げたり、場面や相手によって違う言葉をかけたりするのだと思います。しかも現代はそのような人間が多数を占めているので、図太く柔軟な思考を持ち、都合によって考えを曲げるということが推薦されているのだと思います。私の場合そのような最低な人間と同じになりたくないから納得できる方面を目指し続けているわけです。
      例に挙げられた言葉のうち「人の気持ちも考えろ」と「ありのままを愛せ」は対極にある考えだと思います。というのも人の気持ちを考えて配慮すれば自分がないがしろになりますし、逆にありのままの自分を愛せば、周囲から反感を買い自己中だの言われるのだと思います。結局はバランスよくやれと言いたいのだと思いますが、誰もがバランスのいい対応などできるはずもありません。自分勝手に考えを変化させる人間には私も嫌気がさします。
      私の方針は誰も何も言わないのなら私がネットの片隅であっても叫び続けるですからね。大多数の人間が正しいと言っても、私が間違っていると思えば間違っていると言い続けるつもりです。多くの人間に迫害されてきたのでこうするしかなかったというのもありますが。このサイトで行っている女子キャラクターの研究も普通の領域を逸脱している彼女たちから何か解決策や突破方法を学べるのではないかと思って行っていたりします。