普通の人間に虐げられた身としては普通には絶対になりたくないと思っている

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普通。それは多くの人が疑いもなく信じている信念のようなもの。これを信じていれば人生が安定して過ごせると多くの人間が思っていると思う。だが、普通の概念を当たり前だと信じ、すべての人間がそれを実行すれば幸せになんかなれるのだろうか?私は絶対になれないと思っている。

というのも現に私が真面目に物事に取り組んでいてたとしても周囲の人間たちからもっと普通になれ真面目にやれと言われ続け、私自身も様々な矯正をしたがほとんど変化がなかったからである。そんな私は今は普通になんてならないと心に誓って生きている。今回はそんなことを考えるようになった理由も踏まえて書いていこうと思う。

普通になる=多数派にとって都合のいい人間になることだと思う

私は昔から思っていたが、普通になるというのは

多数派にとって都合のいい人間になるということだとしか思えないのだ。

もちろん犯罪などはやってはいけないことだ。しかし、犯罪さえしなければ人間が生きることに非難をする筋合いはないんじゃないのかと思っている。私がこのように考えてしまうのも人生は他人のものではない自分のものだという意志が普通の人間に比べて強いのだろう。

普通の人間であれば、問題は侵さないと思われる効果もあるのでこれほど都合のいい存在だと思われるのもないだろう。命じたことは何でもやってくれる、リストラをちらつかせて脅せばいいように扱える。まさに代わりのある駒状態だ。

普通になることで生じるメリットなど非難されないこと、多数派なので仲間外れ、迫害、いじめに合いにくい事がある面もある。しかし、これはあくまで合いにくくなるだけであり、100%自分に降りかかる非難や迫害を回避できるとは言い切れない。多数派の中でも派閥を作って争うのだから、被害を完全に防止する手だてなどないのだ。全ての人間に好かれる人間などいないのだから。

普通を追われた私は普通を盲信する人に拒絶反応が出る

私は普通ではないと言われ続け、普通を追われた人間だ。だからこそ普通に生きるのを辞めて自分に正直に生きるようにしている。合わせることも大切だ、そんなんじゃ一人前になれないという人間にひとこと。

なら私は人間が出す一人前の称号などいらない。

一人前、半人前などただ人間が成長や発展する過程で作ったレッテルに過ぎない。それに私はずっと普通でないと言われ続けた影響か、普通にまともに生きているなどと言う意見を聞いても羨ましさなど感じないし、特に交友関係も少ないが不自由はしていない。

昔の私はこう思っていた。なぜ暴力も犯罪もしたことない、悪いことすらしていないのに人間たちから攻撃的な言葉を向けられ、いじめを受け苦しい思いをしなければならないのか。どれだけ学校に通い良い成績を出しても叩かれ、否定されなければならないのか。そればかり考える日々だった。

そして、私を馬鹿にした連中に復讐をするため皆勤賞を狙っていたが高校3年生のある時に無理がたたって倒れてしまい、次の日休むことになってしまったのである。これによって皆勤賞はなくなり、周りには逆に皆勤賞取れなくてざまあみろみたいなことまで言われた。

この事がきっかけで私は壊れ、普通という概念に拒絶反応が出るようになってしまったのである。おかげで今でも恨みは持ちづつけており、楽になっていない。だが、あることが頭に浮かんだ。自分を大切にしない他人のために生きるぐらいなら、自己中と言われても自らを主体にしていきたほうがいいのではないか。と・・・そこから私は普通になったからと言って安定することなどないと思うようになり、2016年にはこのサイトの制作も始め、普通に反発する考えを書き始めたのだ。

最後に普通の呪縛に苦しむ皆様にこの言葉を贈る。

普通でないと言われ苦しんでいる皆様。普通でないことを恐れる必要はない。もし普通でない異常だと言う理由で暴言や暴力で攻撃するような奴がいるのならおかしいのは普通であることに甘え、多数派のグループで安心して吠え続ける情けない人間の方。

それに普通になれないということは都合のいい駒として使われるという恐ろしいことを避けられている、教育による普通至上主義という洗脳を回避できたという素晴らしいことでもあるのだ。私としては表では個性を大切にと言いながら、裏では正社員になれない奴はゴミと思っている人間の方がよっぽどどうしようもない奴だと思う。

普通でなくたっていいではないか。普通でないおかげで都合のいい人間にならずに済んでいるのだから。私は都合のいい人間が普通なのであれば、普通になんてなりたくないと強く思う。

私はこれを読んだ皆様が少しでも普通の呪縛から解き放たれることを願って止まない。

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コメント

  1. 藤木のび太 より:

    まるで私の心の内を描いたような内容ですね。
    私も「普通になれ」「普通になれ」と言われ続けてきた気がします。
    昔は 親、友達と偽ったいじめっ子、TV、自己啓発系の本などに言われていました。
    最近は ネットや脳内世間(フラッシュバックや嫌なことを考える)です。

    どうしても普通にはなれないし、そもそもなりたくないというのが本音です。

    普通になれないと言えば、甘え、努力不足などと言われ、
    普通になりたくないと言えば、うぬぼれ、偉そう、など自己愛扱い。

    ちなみに適職診断では INTP型 平凡が何よりもみじめだと考える らしい。
    大当たり。全くその通り。どう考えても普通にはなれそうにありません。

    ただ、本来頭の良さで世の中を生き抜くタイプなのに致命的に頭が悪いから最悪。
    能力の低い者ほど普通になること強制される。でも普通になれないなりたくない。
    そんなことを考えイライラしてばかり。
    そんな私には、最後の赤文字の文は救われた気がしました。

    • zyoken より:

      藤木のび太様 コメントありがとうございます。
      人間ってどの選択を選んでも非難してくるどうしようもない奴ってたくさんいると思うんです。普通じゃないからこいつになら何してもいい・・・そんな認識をする人間はたくさんいて合わせられないなら迫害される・・・そんな風に言われてしまうのなら、多数派にいることで安心して責めるような普通の人間になどなりたくないと私は強く思うのです。俺たちは普段は普通の中に溶け込んで仕方なく生きているんだ!などとのたまう奴もいますが、それなら普通でない人間を非難するとき一緒に責めてくるのはなんなんだと思うのです。そういう奴らは主体性がないからこそ普通に溶け込むという選択肢を選ぶしかない正に取り巻きです。
      私は普通になれないことはいいことだと思うのです。人が作った常識や考えに洗脳されることもなく、当たり前を疑うこともできますから。普通という概念は普通の人間にとっては酸素のようなものなのだと思いますが、私のようにずれのある人間にとっては猛毒なのです。集団でやるような運動会の組体操や鼓笛パレードで周囲と同じ動きができないことに苦しみ、教師にも理解してもらえませんでした。
      適職診断をやったのですね。私もやったことあるのですが、INFJ型でした。理想を持った信念家だそうで自分の理想をかなえたいが故に世間の定説を無視する・・・ここで書いていることまんまですね。大きなストレスを感じると過食に走るのも当てはまってます。また、このタイプは大半が有能と書かれていますが私は似たようなタイプのはずである意識高い系や高みを目指す系の考えに反発してしまうこともあるのでどうやら有能の部類には入っていないようで悲しいものです。