いじめ肯定の意見は聞いているだけで吐き気がする

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2017年現在になっても全く減る様子のない人間として最低の行為である”いじめ”。いじめは最低最悪の劣悪行為だと私は思っている。

しかし、人間の中には一定数いじめを肯定する人間が存在している。そういう人間の大半はこのような意見を述べていることが多い。

いじめを乗り越えることで精神的に強くなれるし性格も矯正されるからいじめは必要悪だ。

いじめられる人間は周囲を不快にさせる要素を持っている。直さない限りは仕方ない。

世の中は理不尽にできているのだからそれぐらい耐えろ。

・・・私からすれば聞いているだけで醜いし吐き気がするような意見だ。なぜ人間は被害者にばかり改善を求め、加害者は責任逃れさせるように持っていくのか。少年院に送られたところで反省する人間ばかりではないだろうし、構成したと見せかけてまた犯罪を犯すやつもいる。

今日は私がいじめ肯定派の醜い意見に真っ向から反論をしようと思う。

被害者側ばかりに改善や矯正を求めるのはおかしなこと

まず一番上のいじめが性格の矯正や精神的な成長を促すということについて反論していく。いじめが精神的成長に役立つ?それが適用できるのは乗り越えて強くなることができる奴と根本からどうしようもない奴だけだよ。すべての人間に当てはまると思うな。

それに矯正っていうのは間違っていることを無理やり正すというわけだから、性格の矯正っていうのはその人の本来の性格を否定することにもなる。いじめを受けた人間は自分が自分でいいというような考えを受け入れられなくなる。それで周囲の目を過剰に気にするようになって、内向的になり人づきあいに臆病になってしまう。それと同時に本来持っていた実力も発揮できなくなり、自信もなくなっていく。そうなってしまう人間が最終的に行きつく先の大半は引きこもりかニート、良くて非正規社員、最悪の場合自殺だ。

肯定派はよくクラスの40人のうち大半で1~3人程度をいじめることによって大半の生徒の不満やストレスをいじめられる人に背負わせることにより大半の人間の精神の安定を保たせ学校の秩序を守る事ができるなどと言っているが・・・

あの・・・それを繰り返してできたのが幾度のいじめや人格否定によって自己肯定感を持てなくなり、いじめの記憶が消えずに今も苦しんで精神科に通っている精神病患者、引きこもり、ニートなのってご存知なんですかね?

私は気に入らない、不快なだけでいじめをするような腐った根性を持っている奴の方が性格矯正をした方がいいと思っている。むしろそういう奴らはいじめという犯罪をした時点で少年だろうと大人だろうと逮捕してほしいとすら思う。いじめをする対象が不快だからと言っていじめを行うのは猿以下の考えでしかない。人を見下すのは優越感だの本能だのいう奴は野生動物の世界に帰れ!・・・と言ってやりたいところである。

むかつく奴はいじめるということが当たり前のように行われているような理不尽な世の中を変に思う奴は誰もいないのか?

そもそもいじめという行為をするのは加害者が自分の本能を抑えることができずに自分にとって不快な要素を持つ人間に物理暴力や精神暴力をすることであって、犯罪と同等の扱いをされるべき最低な行為であるはずだ。中にはむかつく奴だからいじめるという最悪な理由でいじめをするとんでもない奴もいて、それが当たり前のように行われる。

しかし、いじめ肯定はの人間たちは口をそろえてこう言う。

・いじめに耐えられずに自殺するやつなんて所詮どこかで自殺する人間だ

・周りを不快にさせる要素があるなら手術でも何でもして直せばよかった

・いじめられるのはいじめられる側の実力や人間性に問題がある

などと言って死人に鞭打ちするような意見ばかり見かける。上の事が当てはまるのなら発汗しやすく、汗臭くて気持ち悪いと言われている人間は金をかけてほぼ必ず副作用に悩まされる汗を出す神経を切断する手術をすることを強制されなければならないのか?見た目が気持ち悪いと言われる人は整形や興味のないファッションのために金をつぎ込まなければならないのか?趣向が気持ち悪いと言われる人は好きで何よりも楽しいと思っているものから強制的に”卒業”しなければならないのか?効率良く仕事ができない奴はいじめてもいいということなのか?

そんなことは断じてないはずである!!!

趣味趣向や体質、体の作りは一人一人違う物であり、全く同じである人は誰一人としていない。風呂にどれだけ入っても汗でいる。実際私がそうである。手術はしたいと思う人がすればいいし、自覚がある人は対処もしているだろう。しかし身体の問題は厄介なものであり、中にはどれだけ対処をしても全く効果がない人間もたくさんいる。

そんな人間が発する言葉になど何の価値もないと私は思う。そもそも気持ち悪いからいじめられるというのなら人間は誰一人として気持ち悪い要素を持っていない奴はいないと私は思っている。

例を挙げれば

・表の政策などろくにやらず裏で汚いことばかりやっている政治家

・自分の理想を押し付ける割には自分が何よりも大事で生徒と共にいじめに加担する教師

・せっかちで遅く走る車を見かけるとクラクションを鳴らして追い抜く暴走車両の運転手

・どんなよい対応をしても必ず電話なり直談判なりで文句をつけるクレーマー

・業績や仕事の出来が良くない人に嫌味を言って自殺寸前まで追い込む腐った上司

・遊び半分で相手の精神を崩壊させるようなことを平気でするいじめ加害者

・弱い立場にいる人に向かって精神論や根性論で説教する質問サイトや掲示板の人間

・そして最後に・・・いじめという人を傷つける行為を正当化し罪から逃れようといじめはいじめられる方が悪いというような理論を正しくしようとするいじめ肯定派人間

ほらみろ!気持ち悪い要素を持っていない人間なんて一人も存在しないんだよ!!!

結局、人間の精神は人間が誕生した時から何も変わっていない

私が思うに人間は技術面などの利便性を高める部分では昔と比べると非常に発達しているのだろうが、精神面では猿だったころから全く発達していないのではないだろうかと思うことがたびたびある。自分はできたのになぜお前はこんな簡単なこともできないんだという考えの押し付けをするような奴を私は生きているうちに何人も見てきたし、絡まれたときもあった。

このように人間についての悪い部分を言うとお前だって人間だろうと言われることも多いが、私は自分のことを人間だと思ったことはあまりないし、できるのであれば人を平気で馬鹿にする人間という種族なんか辞めてしまいたいとすら思う。

そんな周りに合わせて悪目立ちしないようにしなければならない常に気の抜けない環境で、ふとしたきっかけでいじめにあい、いじめられるやつが悪いというような意見を叩きつけられれば自己肯定感どころか自殺願望を抱いて本当に自殺することが頭から離れなくなり、実行してしまう人が今後も後を絶たないだろう。

本来であれば取り締まる対象になるのはいじめを行った加害者側であるはずである。しかし、加害者は少年法で手厚く保護され、被害者は上記に挙げたような大人から強くなれだの成長しろだの(不快な要素を)改善しろだの言いたい放題言われ泣き寝入りを余儀なくされる。私はそんないじめ被害者の理不尽な話やいじめ肯定派の腐りきった自分擁護の俺は悪くない論を聞くたびに不快すぎてすごく吐き気がしてしまう。

こんな状況では精神を壊して大人たちの保身と引き換えに自己肯定感を一切築き上げることのできなかった被害者強く生きていこうなんて思えるはずなんてないだろうが!

いじめも差別も本能だの自然淘汰だの言っている限り人間の精神面成長は見込めず、永遠に”マウンティング好きの猿”のままなのだろうと私は思う。こんな社会の状況続く限り私は人間不信であり続けるだろう。ごく一部の理解者を除けば信頼できる人なんてないのだから。

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コメント

  1. 秋野礼 より:

    いじめは悪ではありませんよ?決して勘違いしないように!
    いじめられる側は何にもしないのに口ばっか達者。そんなの外野が助ける気にもならんしそのままいじめられたまんまお空に帰って欲しい。いじめられたくなければ来世に賭けるしかないよ?

    • zyoken より:

      コメントありがとうございます。
      いじめを肯定し、お空に帰ってほしいとか来世にかけろと苦しんでいる人に対して自殺を遠まわしに進めるようなことしか言えない貴方は人間として大切なものが欠けているように感じます。そういうことを苦しんでいる人に言って楽しいのですか?私には理解できません。